ユーラシア大陸には こんなにもたくさんの歌が潜んでいた

 

伝統にも、市場にも、前衛にも、芸術にも、芸能にも どこにも収まらない不思議な音楽

 

「神なき時代の神謡集」河崎純(作曲家/コントラバス奏者/音楽詩劇研究所主宰)著WEB版

 

ユーラシア大陸を旅し、世界のアーチストとコラボレーションしながらオペラを創作する音楽詩劇研究所主宰、河崎純の旅と考察の記録。ユーラシア、日本を中心に知られざる音楽の現在と、伝統を紹介。2020年刊行予定の書籍「神なき時代の神謡集(仮)」のwebバージョン。


ユーラシアの天空崇拝テングリについて

 

 集団、あるいは一人の媒介者としてのシャーマンが神々や精霊との交信する際には、打楽器や激しい踊りが伴われることが多い。多神教やアニミズム信仰、シャーマニズムにおいては、たとえば地霊や自然神を起こすには大地を踏み鳴らす。天の神と交信するには空を仰ぎ遠くを呼ぶ。そうしてトランスの状態をつくりその中で、人間が神々を呼び起こし、その声を聞いたり、憑依するのを待つ。神具は楽器のように扱われる。そのような行為に伴う歌舞性は、一神教的宗教や教えの中には生まれにくい。

 

 シャーマニズム的な神具として日本では、たとえば神事の祈祷などに用いられた梓弓が現存している。梓の木をしならせ弓を張り、鳴弦の儀式を行い、木魚を打つように弓を叩いて音を出し魔物を追い払う。追払うための音や警告音も音楽の起源の一つといわれる。弓を叩くというのは音楽的には珍しいといえるが、カポエラなどで使われるブラジルの一弦楽器のビリンバウが比較的知られている。カポエラは元来アフリカからの奴隷が、踊りや音楽に偽装した戦闘的な足技の多い武術だ。この高度な身体文化が足を用いるサッカーなどのスポーツ文化にも影響を与える。アイヌのトンコリは弓ではなく指でつま弾きく複弦(5弦)、楽器の形やパーツは頭から足、心臓から陰毛にいたるまで人間の身体が模され、臍(へそ)にラマトフ(魂)というガラス玉を入れる。楽器自体が霊性の根源として存在しているのだ。

 

 シベリア、カザフスタンなど中央アジアのテュルク族は、イスラム以前はテングリ信仰という空への信仰が強かった。現在でもイスラム教、仏教、キリスト教と集合しながらされながらシャーマニズム信仰も残存する。カザフスタンのアルマティにあった国立民族楽器博物館は、けして大きな建物ではないが、中央アジアを中心に世界各地の「民俗」楽器が展示されていた。ただ音を出すための道具とはおもえないような装飾や、人形の動きと演奏行為を連動させる装置のある楽器など。それらの多くは、イスラム教文化受容以前のものだそうだ。カザフスタンではいわゆる「民族楽器」として、撥弦楽器のドンブラや、シャーマニズムに由来する弓奏楽器のコブスが知られるが、そのような民族性を象徴するような楽器以前にも、多種多様な音具が人々の生活の中にあったのだろう。これはもちろんカザフスタンだけに限ったことではない。展示のためのガラスケースのなかの、もの言わぬ不思議な楽器たちから奏でられるプリミティブな音たちが、まるで魑魅魍魎の妖怪たちの声のように頭のなかで鳴り響いた。

 

 サインホ・ナムチラクの創作や人生の基礎にあるテングリと音楽の関係についての概説を紹介したい。第三部の第二章に述べる、ユーラシアンオペラ第二作目「さんしょうだゆう」のアルマティ公演でお世話になったカザフスタンの作曲家、民族音楽研究者のバフチャル・アマンジョールが自らの文章を送ってくださった。SNSメッセージで、質問しながら翻訳して、概要をまとめてみた。なお、2021年にバフチャル氏は急逝した。ソ連時代よりカザフスタンにおいて西洋古典音楽や、民族音楽の指導的役割を果たした氏の功績は、多くのメディアでとりあげられ、惜しまれていた。

 

テングリの精神的伝統

 

「霊的な瞑想によるテングリ信仰の音楽」 (バフチャル・アマンジョール 拙要訳)

 

 20世紀の半ば、専門家たちは未知なる世界の宗教につて語りはじめた。テングリ思想あるいは、天空崇拝について。初期の研究においてこの信仰は「アルタイシャーマニズム」「先祖崇拝」として知られていた。近年になり、さらに広くユーラシア精神的文化の基層として重視されはじめたばかりだ。

 

 テングリ崇拝のルーツは歴史的にも広範囲に及ぶ。最初期の崇拝への言及は4世紀に遡り、古代メソポタミアにおいて、王の名前として「“Dingir” (神) 」と記録されている。12、3世紀頃までこの形式の崇拝は、それぞれ固有の存在論、宇宙論、神話学、悪魔論をもち得ることで、宗教的なものとなった。「神」を意味する「テングリ」という言葉とその変化形は広範囲なテュルク(トルコ)語を基本とし、その語源について多くの推論が存在した。ロシアの研究者ラファエル・べゼルチノフはアルタイ地域における天空崇拝について、「日の出」を意味するテュルク語の「таң(tan)」や 「太陽」を意味する 古代エジプト語の「pa(ra)」、テュルク、アルタイ語で「意識」を意味する「янг(ya-n-g)」などがその語源であると論じた。テングリ崇拝の中心地はテュルク族の起源地であるアルタイ地域にあるといわれるが、この古代信仰の出現はウラル山脈地帯から東は太平洋の西にまで及んでいる。テングリ崇拝の諸要素は仏教、キリスト教、イスラム教に組み入れられ、後の宗教文化へ多大な影響を与えている。

 

霊的な瞑想によるテングリ信仰の音楽

 

 宗教的なコミュニケーション、交感における音楽の役割を、人々は早くから重視し、口承芸能や神話、例えばオルフェウスについての神話、テュルク族の「コルクト伝説」についての古代トルコ語の伝説、キルギスの馬の守護聖者カンバル・アタ伝説などにもみることができる。音楽言語のいかなる側面が、伝統的なテングリ信仰の聖なる瞑想に意味を与えているのだろうか。宇宙を構成する三つの世界の関係性は、異なる世界を意味する垂直構造を基礎にしている。地中の世界、天空の世界、地上の世界だ。19世紀末にモンゴル高原北部、バイカル湖に注ぐモンゴルのオルホン河畔で発見され古代テュルク族のオルホン碑文は、8世紀のものとされ、キョル・テギン(闕特勤)を称えたテュルク族の創成神話にまつわるものだ。最古のトルコ語系文字で書かれている。

 

「青い天上界と茶色い地中界が興り、その間に人類が誕生した」

 

 テングリの伝統的な音楽においては、さまざまな音楽の意義は宇宙の多層的なイデアを伝える。それらは即興的に行われ、瞑想的な音、音色の質感を特性とするが、歴史的にテングリ宇宙の構造を共有してきた人々にとって、偶発的なものではない。複雑な音組織と倍音や付加的な音響効果を用いて、より豊かにされる。そうして得られる音楽は濃い物質と、薄い天空のエーテル、肉体と霊魂の類比として人々に供給される。音組織の最も原初的な典型は、倍音唱法、喉歌である。喉歌による音色は天地両世界のそれぞれの存在を表している。喉歌は自然や、アニミズム信仰により神聖視された動物の音の模倣によって特徴付けられる。この複雑な音響を強調する多様な喉歌の形式は、主に、シベリア、モンゴルなど中央、北東アジア全般にみられる。それらは、コーカサス、イラン、トルコ地方の伝統的旋法(ムガーム、マカームなどの呼称を持つ)にもアレンジされて表れている。前2000年あたりにアジアから移住した北アメリカの先住民族にもみられ、シベリア文化とも関連づけることができる。これらに見られる歌唱の形式は、アクセントで繋いだ装飾的なロングトーンが特徴的だ。このようなアクセントを喉歌のなかでつくることは、口蓋を震わすことによって可能になる。

 

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