ユーラシアンオペラ「さんしょうだゆう」安寿と厨子王、カザフスタン・韓国へ

「山椒大夫」夢の歌への旅

 

ユーラシアンオペラ「さんしょうだゆう」夢の歌への旅 

 

1 公演実現の経緯

2 カザフスタンの高麗人とダンサー・アリーナ・ミハイロヴァ

3 シャーマンの楽器コブスで語る説経節

4 セミパラチンスク核実験場とロシアの前衛音楽家セルゲイ・レートフ

5 ユーラシアンオペラ版「さんしょうだゆう」ストーリー

 

 


1公演実現の経緯

 

  カザフスタンの古都アルマティの劇場で舞台を制作することになった。2019年の3月の予定だ。カザフスタン初の独立劇場であるArt&Shock 劇場で、振付家、演出家のケイト・ズボニック氏と創作を行う。ロシアのダンサーのアリーナ・ミハイロヴァが、その地の演劇、アートシーンの要人として彼女を推薦してくれた。

 

 音楽詩劇研究所は2015年初演の「終わりはいつも終わらないうちに終わっていく」をベースに、翌年からユーラシア大陸各地のアーチストとのコラボレーションをつづけ、2018年に東京で、ユーラシアンオペラの第一作目「Continental Isolation」として集大成した。第二部で述べたように、その前年に創作のために原作として選んだのが、パンソリの歌唱でしられる韓国の「春香伝」だった。語り手によりさまざまなヴァリエーションをもつ伝統の口承芸能を原作に、ユーラシアンオペラ版の創作を目指した。

 

 2017年秋に「春香伝考」と名付け、その試作的上演を日本のメンバーのみで東京で行った。いずれはこの作品も海外のアーチストとコラボレーションしながら創作を進めたいと考えてはいた。しかし翌2018年は秋まで、「Continental Isolation」の制作と上演に集中することしかできなかった。その後、あらためて新たな展開を模索する中で、双方の都合で東京に招聘することができなかったミハイロヴァにも、再び参加をもちかけた。音楽詩劇研究所は、三浦宏予、亞弥の二人のダンサーを中心に、身体表現に表現手段を拡張するメンバーも擁する。ダンスの観点でもコラボレーションを充実したいとも思った。彼女は、自らの参加に同意するとともに、ズヴォニック氏を紹介してくれ、カザフスタンでの創作を提案してくれたのだ。

 

 こうして2018年の暮れから、私は新作ユーラシアンオペラのカザフスタンでの上演を含むロシア方面での新たなコラボレーション(*第一部7章)をまとめて「トランス・ステップロード(草原の道)・プロジェクト」と名付け、制作の準備を始めた。

 

 その計画中、2019年の正月頃、日本の国際交流基金のソウルセンターから連絡があった。秋頃にソウルでコンサートを行ってほしい、との私個人への依頼だった。単なるコンサートではなく、このプロジェクトの内容を踏まえたユーラシアンオペラ作品の上演を提案した。「春香伝考」を発展させたいと考えたが、国際交流基金からの依頼という性格上、現地の作品を題材とするより、日本の芸能を紹介するというミッションがあるようにも思った。そのためテーマを引き継ぐ形で上演可能な日本の口承芸能をあらためて探しながら、まずは春のカザフスタン公演を画策した。 

ドレスデンシンフォニカ「デデコルクト」、叙事詩を歌う少年の映像と。
ドレスデンシンフォニカ「デデコルクト」、叙事詩を歌う少年の映像と。

 

  主なコラボレーション相手となる、アリーナ・ミハイロヴァとの出会いは2010年のモスクワに遡る。会場の推薦により、私のシアターミュージックピース「砂の舞台」に出演してくれた。その上演後、彼女は自らの家族のルーツは朝鮮半島であり、その歴史は日本とも関係があるものだ、と語り、韓国、日本、ロシアの要素を含む作品との出会いについての喜びを伝えてくれた。2016年に再会し、モスクワでセッションを行った(第一部 第二章)。この再会を機にメッセージを交わすようになり、自分の現在の創作の悩みなどを打ち明けてくれていた。民族的出自と自らの踊りとの関係をあらためて模索し、苦心しているという。その葛藤も含め、本人の来歴自体に関わる設定を作品中に設けたいと思った。

 

 彼女とのコラボレーションを前提に、それに適する日本の口承芸能を探し、説経節のいくつかを読みはじめ、森鴎外の小説で知られる説経節、父母と行き別れた安寿と厨子王の物語「さんせう大夫(山椒大夫)」を思い出した。この話はさまざまなヴァリエーションを持つが、一般的に以下のようなストーリーをもつ。

 

 故なき流罪でどこか遠方に赴任した磐城の官僚であった父を探しに、幼い厨子王と安寿は母と乳母に連れられ旅に出る。しかし越後の海で人買い船の策略で離散する。母は北の島に流され、乳母は絶望して海に身投げして自死。子らは、播磨の山庄大夫(さまざまな漢字表記やひらがな表記がみられるが、以下作品タイトルとしては「さんしょうだゆう」、荘園領主としての呼称を「山庄大夫」と記す)の荘園に売られて奴隷労働を課され、過酷ないじめを受ける。安寿は厨子王を荘園農場から解放し、自らは沼で自死を遂げた。厨子王は盲目となった母と再会を果たし、さらに父を探し求めながら山庄大夫への復讐を果たす。

 


2 カザフスタンの高麗人とダンサー・アリーナ・ミハイロヴァ

盲目の母たまきをダンスで演じるアリーナ・ミハイロヴァ
盲目の母たまきをダンスで演じるアリーナ・ミハイロヴァ

 

 アリーナ・ミハイロヴァが、安寿と厨子王の母を演じるというイメージが浮かんだ。

 

 子らとの再会を求めて北の島(北海道)を流浪する盲目の母が、このユーラシアンオペラ版では、さらにサハリン島まで漂着する。そこで朝鮮半島から北上し、極東ロシアへの移住者となる一団と出会い、ともに移動を続けるという設定を考えた。彼らは、釜山あたりに出自を持つミハイロヴァの母方のルーツでもある(この章の後のファミリーヒストリーに詳細)。

 

 李朝末から、主に貧困を理由に新天地を求めて朝鮮半島から移住した人々がいた。時代の転換期に勃興した民族主義も背景に、実行支配を進める日本の弾圧から逃れるために移住する人々もいた。主に現在の中露国境あたりや、ロシア極東地域に居をかまえ、高麗人といわれた。しかし第二次大戦中に1937年スターリンの命により日本軍スパイ容疑などの名目でカザフスタンへ強制移送され、中央アジア各地で、過酷な重労働に従事することになる。農作には不向きな不毛の地の開拓が政策の目的だった。のちに、北コーカサスのチェチェン人も、二次大戦の独ソ戦のおりに独軍のスパイ容疑でこの地に強制移送された。独ソ戦の緊張のなか、帝政ロシア時代よりロシアに移民していたドイツ人(ヴォルガ・ドイツ人)やウクライナ人も移送された。そこは厳しい労働に従事させられた多民族による実験農場になった。とりわけ稲作の技術に長けていた高麗人は田園開発に貢献した。

 

 ミハイロヴァの母方の曾祖父母や祖父母もこうしてカザフスタンの荒野の街ウシトベに到着し、さらにウズベキスタン、ロシア方面へと移住した。今回ミハイロヴァとともにその地も訪ねてみたいと思った。

 

 私たちの出会いとなった、モスクワで2010年に上演した「砂の舞台」についてもう少し詳しく書いておきたい。それは、流刑地で非業の死を遂げたオシップ・マンデリシュターム、チュバシ人のゲンナジイ・アイギ、シベリア抑留者だった石原吉郎、鳴海英吉などの詩、韓国出身のアーチスト、テレサ・ハッキョン・チャの言葉を言葉を編集して用いた、シアトリカルな音楽作品だった。

 

 リハーサルで、参加したロシア人アーチストたちと墨と筆をつかって半紙に文字を書いて舞台上にそれらを撒き散らし、上演はその中で行われた。

 

虹、風、河、列、夏、飯、鳩、北、飢、葦、棺、雪、贋、土、夜、湾、海、杭、鬼、砂、友、雫、蛙、酒、花、髭、樽、歌、墓、鶴、春、駅、神、砂、さよなら

 

 鳴海英吉がシベリア抑留を描いた詩集に収められた詩のタイトルだ。第一部に述べたのちのアルメニアでの上演でも用いたが、この時はミハイロヴァが半紙を用いてダンスをした。ラストシーンは、彼女自身の部屋の中という設定だった。ベッドの上であぐらをかき、ファッション雑誌を読んでいたミハイロヴァは、おもむろに片膝立てしてから立ち上がる。片手で本を持ち、片足立ちでよろけながら、誌の中にあらかじめ挿んでおいたメモの言葉をたどたどしく声にした。ゲンナジイ・アイギの詩の日本語訳の一節を、私がローマ字表記しておいたものだ。

 

「これでおしまい”は“地上の道”のように残響するばかり

(そして:そよぎ-と-そよめき。さやさやとそよめいている――ひどく遠いところで―――もう――はじまりが。《わたしのもの》、《わたし自身》が。)」

 

 意味のわからない言語を音読することを、ダンサーはこうして表現した。この即興的判断の秀逸さに感心したが、彼女が片足のパフォーマンスをした理由はそれだけではなかった。終演後のパーティーで、実は、と自身のルーツを語ってくれた。母方の祖父母は韓国人だが日本植民地時代に移民として満州に、戦後は極東シベリアで過ごしたという。一家はその後カザフスタン、ウズベキスタンに移住した。だからこの作品は私にとって特別なものだ、とのこと。自身の民族的アイディンティティの不確かさを片足の不安定な状態で異国語を読むことで表したのだろう。そして、こういわれて後から気づいたが、それを読む前の「立て膝」は韓国の習慣的な身ぶりであり、「あぐら」も東アジアに特徴的な所作だ。設定だけ設けたが、なんら演出を施さず、まして彼女の出自を知っていたわけでもない。

 

 のちに彼女は、民族を始めなんらの属性にも囚われない表現として、「いま、ここ」だけを重視する即興を自己の創作手段として選んできた、と語った。そんな彼女が、即興の中に、ルーツの身ぶり意識的にあえて表した。その10年後の今回、ミハイロヴァは盲目となって北の島を彷徨する安寿と厨子王の母を演じる。自らのルーツにも重なる高麗人の来歴をテーマに据えた設定のなかで、それをどのようにダンスで演じるだろうか。 

 


3 シャーマンの楽器コブスで語る説経節

コルクト-アタ
コルクト-アタ

   

 日本の中世より伝わる口承芸能、説経節の「さんしょうだゆう」の舞台を近現代に移して、ユーラシアンオペラの創作を考え始めた。ミハイロヴァやカザフスタン、ロシアのアーチストたちとどのようなコラボレーションが可能か想像しながら、さらにスクリプトをつくる。

 

 「さんしょうだゆう」のさまざまなヴァリエーションのなかには、安寿、厨子王の関係は、安寿が姉、厨子王が弟、あるいはその逆の場合もある。その一つである青森の憑依型女性シャーマンのイタコ語りによる「お岩木さま一代記」はとくに強く印象に残った。安寿は岩木山の神体に転生するが、主役の一人である厨子王が話の中に出てこない。イタコの「口語り(くどき)」の写本が残されているが、方言も多く、現代語への翻訳やストーリーの辻褄が合わない箇所もみられる。いわば文芸的な整合性がなく、文字で読んでも理解がしにくい。むしろそこに民間信仰と仏教的世界観が融合し、貴種流離譚や復讐譚に回収できないようなダイナミズムを感じた。

 

 カザフスタンの上演では、ミハイロヴァの祖父母らの出自である高麗人の来歴を「さんしょうだゆう」のストーリーに重ねることを試みる一方で、イタコのシャーマニズム的な側面にも着目し、イスラム教受容以前にみられるカザフ古来のシャーマニズムとの接続も考えた。

 

 この地のシャーマニズムに由来する伝統芸能は2013、4年に、アルメニア系トルコ人を母にもつドイツ人マーク・シナンとドレスデンのオーケストラによる音楽劇「デデコルクト」に参加したときに、体験したことがあった。テュルク族のアゼルバイジャン、カザフスタン、ウズベキスタンの伝統音楽奏者も参加した。ムスリム文化と近代化のはざまに生ずる歪みを描きつつ、それ以前の中央アジアの文化の源流を遡るような作品だった。古い伝説をもとに、ドイツのトルコ移民問題などにもふれ、現代の視点を含めながらテュルク族の遊牧民族性が、音楽、パフォーマンスで表現された。この作品以前に、ずいぶんトルコでの創作に縁はあったが、トルコ人のルーツである中央アジア、テュルク族についてほとんど知らなかった。

 

 テュルク族はモンゴル・アルタイから、西に進むことによって勢力を広めてゆく。モンゴル高原から出た突厥は6世紀に中央ユーラシアを制覇した。現在のカザフスタンのアラル海に注ぐシル川の下流のオグズ族はイスラム教を受容し、11世紀にアナトリア半島に大移動し、セルジューク朝トルコを建国。その後はオスマン朝が覇権を握り、東ローマ帝国からコンスタンチノープルを奪い、アナトリア半島を拠点にその支配は現在にまで至る。強大だったオスマントルコ帝国は単一民族性に強くこだわらず諸民族を許容し、統一的な言語も持たなかった国家だったようだ。1908年近代化を目指し青年トルコ革命が興った。帝国は第一次大戦に破れ滅び、ケマル・アタテュルクによって1923年に現在のトルコ共和国が完成する。近代国家として生まれ変わったトルコもテュルク族の盟主国を自認しながら現在に至る。

 

 二十世紀の大半、旧ソ連に属した中央アジアのテュルク族を中心とするいわゆる「スタン」系の国では、ソ連崩壊以後、民族国家としての国威の象徴をつくることが急務だった。そのため、それぞれの地に由来する元々口承であった叙事詩の英雄たちをそのシンボルとして用いた。モニュメントをつくったり、「自国語」「自国文化」の推奨する政策、国策にも積極的に用いている。カザフスタンでは「デデコルクトの書」がそのような存在だ。

 

 それは中央アジアからアゼルバイジャン、アナトリア半島、トルコで広く知られる12世紀に成立したテュルク系のオグズ族の伝承を中心に描かれる説話だ。15世紀、テュルク系民族のイスラム教の受容後に書物として編纂された。ドイツ諸都市やリヒテンシュタイン公国での上演した「デデコルクト」で、私はこの書に登場する英雄、もしくは異教徒の悪魔の役をコントラバスを弾きながら演じることになっていた。題材であった「デデコルクトの書」を事前に読んだ。イスラム叙事詩としての側面と、それ以前の遊牧民のシャーマニズム的な世界の融合がこの英雄叙事詩の大きな魅力であるようだ。しかし跳躍的なストーリーの展開に混乱し、情緒的な共感も困難で、読み進めることもなかなか難しかった。語られ歌われて伝われてきた言葉を文字で「読む」難しさもあるかもしれない。

 

 私自身、あるいは現代の日本人にとって「英雄」を賛美するストーリーというのは馴染み深いものとはいえない。戦渦を反省する戦後の民主主義教育の影響も大きいが、さらに遡ってその理由を求めることもできる。古事記に伝わる創成神話、天皇家の神話化、また軍記物の伝統もあるが、そこでは敗者や滅亡、無常の美学こそ讃えられていたりもする。叙事詩的に描かれた物語世界でも、どこかで仏教的な叙情へと収斂されえゆくような特徴がある。現代でも、江戸を舞台にした時代劇は勧善懲悪的な叙情で結末するし、子供のヒーローアニメや歴史大河ドラマにしてもそのような傾向がある。現代のアニメ作品などではさらに洗錬された繊細な叙情が描かれているだろう。中世より凄惨な復讐譚として語られていた「さんしょうだゆう」も同様で、安寿の神仏転生譚、地位を失ったが立派になって復権する厨子王の貴種流離譚も、健気さや、脆弱さへの共感も込められて描かれるようになった。風土や周辺民族との関係にもよるだろう。

 

 しかし中央アジアに様々な英雄叙事詩は、まさにさまざまな異民族に敵対しながら強靭なキャラクターたちが跋扈する。それは広大な大地、大陸の風土が生んだに違いない。私はそれを肌で理解することが難しかった。

 

 馴染めぬままに毎月ドイツに渡航してリハーサルを行った。その期間も長く、トルコの振付家のアイディン・テキャルによる身体の用い方に関する演出とトレーニング(*最終章 コラム欄)は、演奏するためにここに来たことを忘れさせるくらい細やかだった。そのために楽器を弾く時間も少なく、楽譜も難解、日本語も使えず、さまざまなストレスがたまって心身ともに疲れ果てていた。本番が近づき中央アジアの伝統音楽奏者がリハーサルに加わった。私はそこで はじめて中央アジアの楽器の音色をすぐそばでたくさん聴くことができた。間近に聴いたそれらはは、きわめて繊細で、ただただ美しく、ときに力強かった。

 

 デデコルコトに由来し、物語を象徴するのが、楓の木からつくられたコブス(キル・コブス)だ。弓だけでなく二本の弦も馬の尾の毛でつくられる。声で言えば同じ音を裏声と地声を頻繁に繰り返しながら倍音を効果的に歌わせる。ここまで瞑想的な響きを奏でる楽器は隣国ウズベキスタンにもあまりないように思う。共通する特性も多いが、ウズベキスタンの伝統音楽は私が好きな巨大なチャルメラのような管楽器で3メートルほどの長さのものもある「カルナイ」の何本かが、太鼓とともにトランスしてゆく賑々しい軍楽など、もう少し派手な印象だ。「カルナイ」は、ほぼ基音とそのオクターブの音のみを用いて吹き鳴らされる。カザフスタンやキルギスタンの音楽はもう少し「渋い」ように感じる。カザフスタンはウズベキスタンなどに比べてもイスラム教の受容が遅かったため、古来のシャマニズムの文化がより色濃く残されているという。

 

「ところで、中央ユーラシアでは、最初のシャーマンは、コルクトという人物であったと伝えられている。コルクトの名は、16世紀にオスマン帝国で採録され、文字で記録された英雄叙事詩『デデ・コルクトの書』の主人公としてよく知られる。この叙事詩は次のように歌う。(コルクトは)オグズの無謬なる賢者であった。何を言ってもそのとおりになった。目に見えない世界についてさまざまな知らせを告げた。至高の神は彼の心に霊感を賜った。(中略)ここにある「目に見えない世界」とは霊界・異界にほかならず、そこからの知らせを人々に告げたり、神が彼に霊感を賜ったりする姿は、まさしくシャーマンそのものである。中央ユーラシアに伝わるコルクトは、死とは何か、死から逃れることはできないのかを熟考したと伝えられる。結局死から逃れられないと悟ったコルクトは、コブズという弦楽器を考案し、シル川の水面に絨毯を浮かべて、演奏を続ける。「死」はその音色を恐れ、コルクトに近づけないが、ふとまどろんだ隙にコルクトは水蛇にかまれて命を落とした。コルクトは死んだが、彼の作った楽器コブズと曲の数々はその後も生き続けたと伝わるのである。死について説く彼の姿は『デデ・コルクトの書』にも見られる。 我がコルクトがやって来て、愉快にコプズ を弾いた。(中略)「どこか、私が語ったベグなる勇士たちは。『この世は私のもの』と言った者たちは。死は奪った、地は隠した。かりそめのこの世は誰に残されたのか。移り変わりのこの世は。最後が死であるこの世は」。つまるところ長き寿命の果ては死である。最後は別れである。このように、コルクトにはシャマンの性格とともに、真理を人々に説く賢者・哲人の特徴も認められるのである。」(「英雄叙事詩とシャマニズム : 中央ユーラシア・テュルクの伝承から」和光大学表現学部紀要 15巻 坂井弘紀 著)

 

 日本の伝統文化のなかで、コブスのように弓を使って演奏する楽器は稀だ。現存して知られるところでは富山の「越中 おわらの盆」でもみることのできる中国からもたらされた胡弓くらいだろうか。説経節「さんしょうだゆう」も撥弦楽器である琵琶、のちに三味線の弾き語りで語られてきた 。中国の二胡、童話の「スーホーの白い馬」でのおなじみのモンゴル系の馬頭琴、モリンホール、朝鮮半島のヘーグムや箏を弾くカヤグム等、大陸の東アジア圏では弓奏楽器が用いられてきた。

 

 私は今回のカザフスタン公演では、日本には存在しなかった弓奏楽器の豊かな倍音の響きを通奏低音に、「さんしょうだゆう」を展開したいと思った。

 

・付録(翻訳)テングリ崇拝と音楽について(バフチャール・アマンジョール) 

 

 


4 セミパラチンスク核実験場とロシアの前衛音楽家セルゲイ・レートフ

原爆実験によりセミパラチンスク(セメイ)付近に出来た人造湖チャガン湖
原爆実験によりセミパラチンスク(セメイ)付近に出来た人造湖チャガン湖

 

 カザフスタンの劇場の窓口であるケイト・ズヴォニクからは、まずコブス奏者を紹介してもらった。その後、彼女が劇場でダウン症、自閉症のパフォーマーの方々とワークショップをおこなっていると知り、彼らにも参加してもらえることになった。日本側から音楽詩劇研究所のメンバーから4名、韓国打楽器、歌、踊りのチェ・ジェチョル、そしてロシアからはダンサーのアリーナ・ミハイロヴァ、アンサンブルにはイルクーツクの歌手マリーヤ・コールニヴァ、新潟や東京やモスクワでコラボレーションしてきた前衛音楽の重鎮サックス奏者のセルゲイ・レートフに参加を要請した。

 

 そのほかウクライナのダンサー、ドミトリー・ダツコフも荘園農場の主である暴君「山庄大夫」役に招聘したいと考えた。2017年にわれわれをオデッサ国際演劇祭(第一部 第三章 黒海篇)に招聘してくれた長身魁偉の舞踏家だ。彼は極東日本を近くにのぞむナホトカで育ち少年時代新潟に訪れた経験も持つユダヤ人だ。しかし予算の都合で難しかった。そのため、長い白髭をたくわえ古代の哲学者の貫禄を持つ音楽家のレートフをその役に、太夫の横暴な息子を私自身がコントラバスを激しく即興演奏することで演じることにした。

 

 モスクワを拠点にペレストロイカ時代よりロシアの前衛文化を牽引するレートフは、自身がカザフタン北部のセメイの出身であると教えてくれた。その風貌から、典型的なペテルブルクかモスクワなどヨーロッパ寄りの都会出身の文化人、知識人だと勝手に思っていた。だから、彼が中央アジアの荒野の街の出身だということは少し意外だった。

 

 スラブ系のロシア人であるレートフの曾祖父は、ロシア帝国の領地だったこの地で羊の毛や皮をカザフ人と取引する商人だった。正教徒だったがカザフ人との信頼関係を築くなかで、カザフス人独立のイスラム国家独立運動の組織(議会)アラシュオルダの援助者となった。ロシア革命の年1917年から3年の短命に終わったアラシュ自治国の建国に携わった。その首都セメイはソ連時代はセミパラチンスクと呼ばれた。ソ連時代の核実験場の地である。その痕跡として現在に残るのが人造のチャガン湖がある。レートフは、1956年核実験が中止されてわずか一ヶ月後に産まれた。医者であった母と祖母はのちに、おそらく核実験の影響もあり癌で亡くなったという。1959年、避難するために北上し、シベリアの主要都市オムスクへと移動したそうだ。

 

 カザフスタンの生命のいない人造湖と安寿が入水した沼を重ね、そこが歌と踊りが湧き上がる泉と想定した。

 

 


5 ユーラシアンオペラ版「さんしょうだゆう」ストーリー

 

 子供たちを探し求める盲目の母を、ミハイロヴァのルーツである高麗人の来歴に重ねる。いっぽう母を探しにゆく厨子王を逃すために身代わりに入水自殺した安寿が、シャーマニズムの楽器コブスの響きとともに核実験でできた人造湖に再生する。安寿の祈りと念力によって、その無生物の湖に生命を宿す、という作品の骨格をなすビジョンが生まれた。

 

 参加アーチストのファミリーヒストリーや個人史の物語に取り入れつつ、20世紀初頭を舞台にユーラシアンオペラとして「さんしょうだゆう」のカザフスタン上演バージョンを以下のように脚色した。音楽や舞踊を軸に創作するので、以下に展開するストーリー自体を演劇的に表現するのではなく、それはあくまでオペラ創作の背景としてあるものだ。

 

 亡き母親のルーツであるカザフスタンに観光旅行で訪れている20代前後の韓国人の兄妹が、ソ連時代の核実験によってできた人造湖のチャガン湖を訪れていた。母の故郷付近だ。生物のいない湖 、なにもない空間。湖畔で、死んだ母から伝え聞いた歌を兄が韓国語で口ずさむ。

 

 母はソ連崩壊後に、カザフスタンから祖先の故郷である韓国に留学し、日本人外交官と結ばれ、兄妹を産んだ。しかし妹が生まれてすぐに父は姿を消し、行方不明のままだ。家族3人はソウルに暮らしていたが、母は数年前に原因不明の病で死んだ。

 

 兄が歌うのを聴いた妹は、それが元々日本の歌だったというエピソードを思い出した。通っているソウルの大学の日本語学科でそのを聞いたことがあった。妹はそれを確かめるために叔父の家へと戻る。一人になった兄は湖畔に佇み、腰掛けているうちに、まどろむと、湖からふしぎな声、歌が聴こえる。やがて兄は眠りに落ち、夢の中で歌に包まれる。

 

 兄の夢の中に展開するのが、ユーラシアンオペラとして翻案した「さんしょうだゆう」だ。

 

 福島、磐城の判官の妻、子供たち(安寿と厨子王)、乳母は、姿を消した夫、父の行方を追った。しかし新潟、日本海で、人買い船に乗せられて、母、乳母と子供たちとの二手に分けられる。その途上、悲嘆にくれて絶望した乳母うわたけは入水自殺をし、海の精に転生する。「うわたけ」が日本海上で入水後、水蛇の精霊となったという伝説は新潟などに残っている。私は韓国で知られる済州島や東海(日本海)の海の精霊、人魚イノへと転生すると設定した。

 

 子供たちと生き別れた母たまきは蝦夷地に流され、涙にくれて盲目となり、畑の鳥追いの仕事をしながら身をやつす。一羽の渡り鳥の白鳥に導かれ、サハリン島まで流れ着いた。そこで、聴いたことのない言葉で歌われるたくさんのニブフ、ウィルタ、樺太アイヌなどの北方諸民族の歌を聴いた。さらに北上しつづけるが、陸の道が途絶え、絶望する。イノが韃靼海峡に氷の道(実際に冬場は氷の道ができ、ここを渡って多くの少数民族やロシア人が交易した)をつくって救う。

 

 靼海峡の対岸からで朝鮮からロシアへと移動した「アリラン隊列」と呼ばれる一行の歌声が聞えた。母は、彼らと道を共にする。途上に一行の男性との間に結ばれ子(冒頭の韓国の兄妹の祖母に当たる)をもうける。しかし彼らはスターリンによって日本人スパイ容疑でカザフスタンのウシトベへと強制移住され、その地で生を終えた。安寿と、厨子王に会うことは叶わなかった。

 

 一方、幼い安寿と厨子王は佐渡の金山に流れ着く。この流刑と芸能の島で、「山庄太夫」に買われ、金山採掘の奴隷となり拷問を受けながら労働した。「さんしょうだゆう」で、荘園の場所は播磨(兵庫)であるという設定が多いが、私は後に流刑者によって芸能が渦巻く佐渡に設定した。北の地に母がいるとわかったのは、あらたな奴隷として北の島から買われてきた少女が「安寿恋しや ほうやほれ 厨子王恋しやほうやほれ」と口ずさんでいたからだ。聞き慣れぬ旋律(母が聞き覚えて口ずさんだ北方民族の旋律)だが、そこに自らの名前が歌われていたので、 母が北の島に生存していることを悟った。

 

 安寿は沼に身投げして採掘場から不在となり、その騒動の混乱の隙に、厨子王を脱出させ母を探すたびに向かわせようと一考した。過酷な労働で聾となり言葉を失っていた安寿は、弟の渡海を願い、沼の中で念力を使って舞いながら入水を遂げた。逃れた厨子王は、母を求め舟で北へ向かった。ところが流れ着いたのは、韓国の済州島だった。現地の女性との間に子供をもうけ、そこで死を遂げた。安寿と、厨子王は、母にも父にも会えなかった。

 

 青年は、チャガン湖の畔で眠り続けている。水の精イノの背後に、カザフスタンの古楽器コブスの音色とともにが山の神が現れる。山の神として転生した安寿だ。山の神のシャーマニズム的霊能力により生き物のいないはず湖の中からは、多くの声=歌が響いている。

 

 陽が落ちたころ、妹が兄を迎えにチャガン湖に戻る。妹が起こすと兄は目を覚まし、彼らは、行方不明の父を探しに父の故郷である日本、福島に向かう。

 

(以下は映像 「映画」としてスクリーンに投射され、出演者も観客と同化する)

 

 

 東京。空港から街に向かう車のなかで運転手がラジオをつけると、ロックが流れている。少し日本語を理解する妹によると、ディスクジョッキーは「ペレストロイカの時代にロシアで人気があった歌だ」といっている。兄妹はラジオに耳を傾けるが、母の母語であるロシア語はわからない。妹は、兄が湖畔で口ずさんでいたメロディーを日本語で歌っている。「天然の美(美しき天然)」だ。

 

「聞けや人々面白き 此(こ)の天然の音楽を。 調べ自在に弾(ひ)き給(たも)う」

 

 「映画」の途中、舞台袖からの韓国の太鼓チャングの音を合図に、セルゲイ・レートフもサックスでこのメロディーを吹き始める。出演者全員が音に導かれて「隊列」のようになって客練り歩きながら客席の中に消える。

 

 この「さんしょうだゆうin カザフスタン」では、それぞれの役を以下のような配役で演じた。

 

安寿は舞踏家の亞弥が演じ、「呪文」以外は言葉を発さない。

厨子王は新作能や狂言も演じるパフォーマー吉松章が演じる。

 

乳母・水蛇の精「うわたけ」(イノ)は、ダンサー、女優三浦宏予、その声(歌)をマリーヤ・コールニヴァ。

母たまきは、ダンサーのアリーナ・ミハイロヴァ

母たまきが韃靼海峡で出会う高麗人の男をチェ・ジェチョル(韓国打楽器)。

山庄大夫はセルゲイ・レートフ(サックス、フルート)。

山庄大夫の息子は私(コントラバス)。

朝鮮半島から極東ロシアに移住した高麗人の「アリラン隊列」とチャガン湖から復活する生命の象徴的存在を、ケイト・ズヴォニックが演出するカザフスタンのダウン症や自閉症のパフォーマーンスグループ「文字通りの行動」が演じる。

 

ストーリーは三木聖香の歌唱によって進行する。音楽は、私の作曲によるカザフスタンの弦楽四重奏と電子音響作品、レートフのサックス、フルート、バシキールの笛クライ、コントラバスと、コブスによる伝統音楽で構成される予定。

 

 上演は諸事情から予定されていたカザフスタン初の独立劇場ではなく「ドイツ劇場」という公立劇場に変わったと伝えられた。その劇場はヴォルガドイツ人といわれる移民のために創られた劇場だが、老朽化したため、映画館の廃墟を間借りしていた。その映画館は第二次世界大戦後の日本人捕虜により建築されたそうだ。この秋ドイツ劇場は新たな本拠地として「高麗人劇場」として使用されていた劇場があたらしい本拠地となったそうだ。

 

 アルマティでの公演のあと、私はロシアにわたり、すでに第一部の七章で述べた、タタールスタン共和国のカザン、モスクワ、ペテルブルクでいくつかのコンサートを行う。これらの一連の公演が、コラボレーションが2019年の音楽詩劇研究所「草原の道プロジェクト」(トランス・ステップロード)だ。

 

*その後さらに劇場は変更され、けっきょく今回の我々の招聘先である、ケイト・ズボニックが演出家として新たに所属することになった私立劇場となった。

 

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 草原の道日記 カザフスタン タタールスタン ロシア 2019 ①カザフスタン「さんしょうだゆう」篇

 


音楽詩劇研究所 さんしょうだゆう in カザフスタン キャスト