ユーラシア大陸には こんなにもたくさんの歌が潜んでいた

 

伝統にも、市場にも、前衛にも、芸術にも、芸能にも どこにも収まらない不思議な音楽

 

「神なき時代の神謡集」河崎純(作曲家/コントラバス奏者/音楽詩劇研究所主宰)著WEB版

 

ユーラシア大陸を旅し、世界のアーチストとコラボレーションしながらオペラを創作する音楽詩劇研究所主宰、河崎純の旅と考察の記録。ユーラシア、日本を中心に知られざる音楽の現在と、伝統を紹介。2020年刊行予定の書籍「神なき時代の神謡集(仮)」のwebバージョン。


アーニャ・チャイコフスカヤ(歌手/ウクライナ)

 

  アーニャ・チャイコフスカヤは2021年現在、モスクワで暮らしている。1982年にソ連の最も大きな工業都市の一つであるドネツク市で生まれた。

 

 母方

 

 母親の家族は、仕事のために第二次世界大戦後にドネツクに来た。祖父は地質学者でヴァイオリンを弾きオーケストラでプレイし、鉱山で働いた。祖母はピアノ教師として働いていた。チャイコフスカヤは祖母が80歳のときにピアノを習った。祖母はモスクワから9000キロ以上離れた極東ウラジオストク地域の首長の娘だったが、1917年のロシア革命により財を没収された。1930年代に家族は仕事のためソ連最大の工業都市ドネツクに移動。一方の父親の家族は、黒海に注ぐ大河ドニエプル川東側、コサックの多く住むグリャ・ポーレやドネツクに移動した。

 

ドネツク(ウクライナ)
ドネツク(ウクライナ)
サハリン
サハリン

 

 父方

 

 父親の家族は音楽家ではなかったが、ウクライナ民謡をよく歌った。チャイコフスカヤが慣れ親しんできたウクライナの民俗音楽は、移民などにより世界に広まり、ロシアでも多く歌われている。ウクライナでは常に多くのユダヤ人が暮らし、彼らの言語文化とも音楽も根付いており、彼らはヴァイオリンの名手を多く排出した。ダヴィト・オイストラフ 、アイザック・スターン などのヴァイオリン奏者、ピアニストのウラディーミル・ホロヴィッツ 、作曲家セルゲイ・プロコフィエフがウクライナ系ユダヤ人として知られている。チャイコフスカヤはこのように言う。

 

「確かに(ウクライナ民謡の)多くの旋律は、ユダヤ人たちの演奏法と音階から特徴的な色合いを得ました。またウクライナの民謡にはクリミア方面からの(テュルク系)タタール人の影響も間違いなくあります。」

 

 サハリンの幼年時代

 

 第二次世界大戦後の人々は国を再建し、「科学技術教育」を受けようとした。祖父母、両親とも地質学者、冶金学者、医療技術者だった。1982年にチャイコフスカヤがドネツクで生まれた後、両親は大学を卒業し、若手の特別地質学研究員としてサハリンに赴任していた。彼女はそこで幼少の5歳までの時を過ごした。

 

「そして私はそこでの5年間が私の人格を形成したと確信しています。もちろん私はすべてを覚えています。海、釣り上げた魚。7月に赤や紫に咲きみだれるルピナスで覆われた丘。母の背より長いごぼう、野苺。そして完全に雪で覆われた冬。そしてたった一軒おもちゃ屋がありました。私たちはシャフチョールスクと呼ばれる町に住んでいました。」

 

チャイコフスカヤはこのようにサハリン時代をふりかえった。シャフチョールスクはサハリン島の西岸の街で、日本統治時代は「塔路(とうろ)」という名の街だった。「とう おろ」とはアイヌ語で「湖のある所」を意味する。

 

歌手への道のり

 

チャイコフスカヤは家族の歴史では、2世代ぶりの音楽家である。ドネツクのコンセルヴァトワールを卒業し、首都キエフのバンドで歌い、ハルキウ(ハリコフ)で二人の優れたミュージシャンと出会いCDを出し、「ウクライナの真珠」とも称される、ジャズの歌手として活動したが、そこで音楽を学び直すのが夢であったという、サンクトペテルブルクに移る。サンクトペテルブルクの6年間で、ルーツを求めウクライナの民謡や古謡を学び、17世紀から19世紀の西洋古典音楽の習得に集中した。そして正教会の聖歌を歌っている。

 

「私はウィリアム・バードやヘンリー・パーセルのようなイギリスの16-17世紀の中世音楽をとても愛しています。それらはシンプルであるが歌うことが難しいです。同時に、私はフレデリック・ヘンデルに絶対的に恋しています。それらを正教会の聖歌とは別の技術を用いて歌うことは興味深いことです。しかし、それを同時に混ぜあわせてゆくことはさらに興味深いのです。また正教会の聖歌は私にとって「音楽」でさえありません。それは祈りであり神聖な書です。もちろん私の愛するバロック音楽も宗教的な色合いが強いものです。正教会の「音楽」も多く残されていますが、現代人の耳にはとても奇妙で難解なものとして聴こえます。しかし、それを理解し、実際に協会で歌うことが非常に重要です。それらはウクライナの古謡、中世音楽、正教の聖歌はそれぞれ大きく異なるが、そこに通底する共通性を模索することを愛している。そのために、新しい言語を探す特別な時間を求めてあなたのプロジェクトに参加している。」

 

 「ドネツクは近年、ロシアとの間の非常戦闘地域にあるが、両親はウクライナに残ることを望んでいる。彼女は両親のことをウクライナ愛国者だと考える。父はドネツクに残り、母はキーウに越した。両親はロシア語を話していましたが、母親はウクライナ語を話し始めました。」

 

◎アーニャチャイコフスカヤとのコラボレーション

 2019

 

草原の道日記2019③/ペテルブルグ・モスクワ・グスリッツァ

 

2018 

・ユーラシアの精霊たちと/2018「CONTINENTAL ISOLATION」東京/サインホ・ナムチラクIN 盛岡

 

2017

黒海(イスタンブール~オデッサ)篇/バイカル・黒海プロジェクト日記 /2017

 

2016

コーカサス・プロジェクト/モスクワミーティング/2016

2019年サンクトペテルブルグにて 生後9ヶ月の娘を抱きながらリハーサル
2019年サンクトペテルブルグにて 生後9ヶ月の娘を抱きながらリハーサル